2003年 台風15号の爪跡
この土地に居を構えて十四年目の2003年。ひどい台風に見舞われました。 伝説の昭和五十年の台風13号に次ぐ被害になってしまいました。 元気だったモンキーバナナが、、、、一夜にしてこんな姿に 9/20 台風が近づき、シトシトと小雨が降る。風はなく、「嵐の前の静けさかなあ」と話す。 9/21 防災無線で、明朝三時ごろ、八丈島に再接近すると知らされる。ハウスの周り、家の周りを片付ける。 9/22 午前一時半ごろ、家を揺すぶるものすごい風で目が覚めた。 停電していて、真っ暗だった。うとうとしていたら、バリーン、と音がして、雨戸のない洗面所のガラスに何かが当たり、割れてしまった。 子供部屋の板戸ふすまを持ってきて充て、つっかえ棒をした。 また強い風が来たら、屋根まで飛ばされるかもしれない、と必死になっている主人を見て、私も、これはただ事じゃないと知った。 処置を済ませると、またうとうと。でも、隙間風が入ってきて身も心も寒くなった。朝になったら車のガラスまで割れていた。なんてひどい台風だったのだろう。 「災害は、忘れた頃にやってくる。」 また、そんなに大したことはないだろう、とどこかで思っていた。 懐中電灯の中の電池も古いままで、ローソクの準備もしていなかった。 最悪の事態を想定して準備しておかなければならないのだなあ。 停電してもすぐに直るだろう、くらいに考えていたらとんでもなかった。 朝になっても電話も通じず、今時携帯を持っていない我が家はとても心細い思いをした。学校も保育園も、たぶんお休みだろうな、と判断して勝手に休んだ。たまたま寄ってくれた電気屋さんが、ターミナルアダプターに電池を入れてくれ、電話が通じるようになって、ほっと一安心。 早速実家に連絡し、実家のほうから、八丈島の被害状況を教えてもらった。 割れたガラスの後片付け、窓に段ボールを張り、家の周りのごみを片付けた。 なんだかショックで、しょんぼりしてしまった。 ガラスくらいでこんなにショックなのに、家を壊された方はどうしているのだろうと思いを馳せた。 幸い、建てたばかりの鉄骨ハウスのほうは被害が無く、中の花も無事でよかった。 車を修理に出すため、走っていると、大木が根こそぎ倒されているのを、何本も見かけた。 島の新聞、南海タイムスによると 19日に沖縄本島を縦断した台風15号は、那覇での最大瞬間風速は30.8mだったが、八丈島近海の海面水温が過去最高とみられる30度台の高温帯となっているため、台風はエネルギーを補給し、東海地方沖で、猛烈に発達した。 最大瞬間風速は、観測史上三位の59.5m 住宅の全壊8棟、半壊21棟、一部破損132棟 漁船は転覆1隻、破損浸水1隻、一部破損6隻 電柱は各地で倒れ、土砂崩れなどで、登龍道路と防衛道路が通行止めになった。 農業施設はパイプハウスの全壊86棟、半壊54棟など、総額5億2322万円の被害となった。 我家の停電は午後四時まで続き、昼から出なくなった水道は夜七時半過ぎにやっと出るようになった。 一日足らずのことであるのに、とーっても不自由な思いをした。 でも、島内全域が復旧したのは、水道は翌日、電気は翌々日でした。 いつも、当たり前に使っている電気や水が、なんて有難いものだったのだろうと痛感いたしました。 なかなかショックから立ち直れない親と違って、屈託なく近所の子と遊んでいる子供たちのたくましさよ。